あらふぃふらいふ

アラフィフ女子の美容、健康、趣味、ダイエット、仕事のハナシ。2019年秋~ダム巡り始めました☆

味方は家族だけになった

会社を辞めると決めたとき、一番悩んだのは家族にいつどのように伝えるか、でした。

 

子供達には少しずつ話していきました。最初は、パパが仕事を辞めるって言ったらどうする?という軽いものから。特に高校生の息子には、複数回に分けて、事実をありのままに話すように心がけました。中学生の次男には、上の子ほどは丁寧に話しませんでしたが、わかりやすく丁寧に。聞かれたことには真摯に答える、ということをしました。

 

仕事を辞めることに理解があったのは長男。最初はバカじゃないの?マジで言ってんの?と驚いていましたが、丁寧に話していくにつれ理解が深まり、夫の気持ちはもちろんのこと、応援したいという私の気持ちをも推し量ってくれるようになりました。もしかしたらこの時点で、親失格だと思う人もいるかもしれない。ですが我が家ではこういう形は当たり前でもありました。親子間に絶対的な信頼があったからこそ、できたことかもしれません。

 

しかしながら、双方の親は並大抵ではありませんでした。最初から結論が見えていたからこそ、あえて事前に相談はしませんでした。結果が決まってから報告という形をとりました。相談というのは、結論が出ていないときにするものだというのが夫婦共通の認識でしたし、相談できる相手ではないということも理解できていました。田舎に長らくすむ両親。私たちの両親はどちらも公務員で問題なく定年まで勤めあげています。途中で職を辞めることになる、なんてことが理解されるとは到底思えませんでした。また、どのような言葉で反対され、どのような話になるかも想像ができました。だからこそあえて相談しなかったわけですが、それは両親の怒りに火をつけました(笑)

 

だからって話しておけばよかった、相談しておけばよかった、なんてことは少しも思っていません。なぜなら、話したところで結論は変わらないから。彼らは彼らの感情だけを吐き出しているのであって、私たち夫婦にはあまり関係のないことだと、私はとらえているから。

 

実際問題、彼らが口にすることはあまりに矛盾していて・・・

 

例えば、「こういうことはあらかじめ相談するものだ→じゃあ事前に相談すれば辞めてもいいの?→いや、仕事なんて辞めるもんじゃない。子供のためを一番に考えるべきだ」だったりしますし、やたら常識、子供のため、家族のため、という大義名分を出してきます。そこに、私や夫の幸せはない。

 

「今から再就職できるわけがない」→やってみないとわからない、と私たちは考えていますし、「どうやって食っていくんだ!」→数年仕事がなくても食っていくだけの退職金があるので、バイトなどをしながら食いつなぐことは可能ですし、「これから子供にお金がかかるのに」→まだその時ではないのでその時に考えます、というのが私たち夫婦の意見。これらはすべて、先読みであり深読み。今考えなくてもよい妄想、ただの独りよがりの心配だったりするわけです。

 

もちろん、有意義な意見も多少はあります。「叶えたい想いがあるなら計画を立ててお金を貯めてからやるべきだ」というのはごもっともな意見だとは思いました。でも、それを今からやってたらあっという間に老後ですよ(笑)子供のことももちろん大事。でも、今自分たちがどう生きていくか。これも同じぐらい大事だと私たちは思うわけです。これは感性の違いでもあるかもしれませんね。

 

価値観、人生において何を優先するかが全く違う両親たちと私たちの意見が交差することはありません。いつまでたっても平行線のまま。夜中の3時を過ぎても同じことの繰り返し。ただただ不安だけを押し付け、見えない未来を想像してはやめろという。少しも建設的でない。

 

そして何よりガッカリしたのは、どちらの親も子供を使って私たちを脅して来ようとすること。困っても助けてやらないぞ、子供の面倒は見てやらないぞという、おぞましい脅迫。そして、子供に直接連絡を取り、子供に「お父さん仕事辞めないでって言いなさい」としつこく迫ること。もうね、言葉になりません。

 

簡単にそうか、じゃあ応援するよ、と言ってもらえないことは理解していましたが、親というあまりに身勝手な生き物に嫌気がさしたのも事実。「おまえのため」「家族のため」という聞こえのいい言葉を使っては、自分たちの考える「幸せなレール」に子供を乗せたい、子供を思い通りに生きさせたい、というのがあからさまで・・・・・私はただただ両親に失望しました。

 

 

私たち夫婦の子育てのモットーは、「自己責任」。自分の人生は自分で決める、というもの。どんな結論を選んでも、どんな方法を選んでも、それがあなたの決断なら私たちはいつでも応援するよ、というスタンス。もちろん意見は言いますが。それはあくまで意見。それを採用するかどうかは、子供たちが決めること。我が家は常にそういうスタンスです。

 

だって、子供の人生は親のモノではないから。子供には子供の人生が、子供なりの選択がある。親の私たちにできることは、子供目線では見えない選択肢を見せてやること、世界がどれだけ広がっているかを教えてやること。そして決断を見守り、必要な時に必要な手助けをすることであって、目の前の小石をすべて拾うことでも、自分たちの思い通りに子供を生きさせることでもない。

 

何が正しくて何が間違ってるのかなんてわからない。でも、自分の人生の責任が取れるのは自分だけ。誰かのために生きるのではなく、自分のために生きていく、そのために自分で決断をするのだから。

 

 

味方は家族だけ。私はこの時、両親の娘ではなく、夫と人生を共にする、文字通り「伴侶」になったのだと心から思いました。娘として人生を歩むのではなく、夫と二人で、私たちのためだけの人生を切り開いていくのだと。